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交換留学経験者からのメッセージ

交換留学経験者からのメッセージ 2013年

2014年4月30日現在

Johns Hopkins University留学体験記

福岡 香 (Johns Hopkins 大学)

 この度、私はアメリカメリーランド州のボルチモアにあるJohns Hopkins Hospitalの腫瘍内科、神経内科、血液内科にて実習をさせていただきました。貴重な機会をいただきましたことを、支えてくださった皆様に心よりお礼申し上げます。寝る間も惜しんで夢中で勉強した、これまでの人生で最も実りのある3ヶ月となりました。

 2013年3月19日、一緒に留学する王君とNYに降り立ち、翌20日アムトラックという高速列車に乗ること2時間半、とうとうボルチモアに到着しました。はじめてのアメリカ東海岸で、はじめての1人暮らし!ホプキンスのシンボルであり歴史の重みと荘厳さにあふれたドームと、昨年完成したばかりのカラフルな真新しい病棟を見上げて、胸が躍ります。精一杯吸収して成長してから日本に帰ろう、と心に決めました。


 ホプキンスでは世界中から来た先生方、患者さんとの出会いがありました。その生い立ちやホプキンスに来るまでの話はそれぞれ興味深く、世界は広いことを実感しました。そんな人たちと話す時、そこには人と人の関係しかなく、国境は無いのを感じました。実習では、出身国がインド、中国、エジプト、パナマ、ネパールと様々で、アメリカで医師の資格を得た先生と一緒に働くことがありましたが、実力勝負の世界であり、人柄やユーモアが人を魅きつけているように思いました。


 実習は腫瘍内科から始まりました。朝早くに担当の入院患者さんのカルテを確認し、夜シフトの先生と看護師から夜間の出来事をチェックすることから1日が始まります。確認後に患者さんの診察をし、所見からAssessment and Planを練りカルテを準備します。主治医制ではないためレジデントがフロアの入院患者全員を担当しており、9時前からアテンディング、フェローの先生も加わったチーム回診が始まります。ここで上の先生にプレゼンして一緒に診察をします。


 プレゼンは決められた型通りに、しかし要点を外さず簡潔に発表することが重要になります。学生はチームの中で誰よりも患者さんの状態を把握し、論文とUp To Dateを参照してより良いプランを立てることを求められます。プレゼン後は看護師、薬剤師、ソーシャルワーカー、Palliative care専門家などの他職種メンバーを交えての徹底的なディスカッションがあります。始めはプレゼンの準備だけで精一杯でしたが、アテンディングの先生から具体的な抗菌薬の投与量や副作用、輸液についてなどを指摘され、新しいことを吸収することができ、次第にディスカッションでも発言できるようになりました。また、日本との違いとして、退院目標を常に意識して必要以上に入院させないこと、緊急時の蘇生の有無を入院時に必ず確認することが挙げられると思います。患者は自分の状態を把握し治療に意欲的な人が多い印象を受けました。医師もその思いに応えようと各分野のスペシャリストたちと連携して治療に力を注ぎます。最高の治療を求めてホプキンスに来た方の期待は大きく、退院が決まると「あなたたちは本当にすばらしい先生だったわ、とっても感謝しているのよ。今度は病院ではなくてショッピングモールかビーチでまた会いましょう!」なんてとびきりの笑顔で話していた姿が印象的でした。医者としての使命、働く喜びはこういうところにあるのではと感じました。担当患者さんの家に招待していただき、可愛い子供たちとBBQやプールを楽しんだことも温かい思い出の一つです。


 続いて実習したホプキンスの神経内科は全米ランキングNo.1に選ばれておりぜひ実習したいと思っていましたので、世界トップに触れ日本の医療との違いを見ることができてとても幸運でした。3週間general teamに所属して所見のとり方とその解釈について学び、paraneoplastic syndrome、cysticercosis、結核性髄膜炎、vogt-小柳-原田病、エイズ脳症、転換性障害といった興味深い症例を経験しました。また疾患について発表する機会を何度もいただき、睡眠時間を削って論文と格闘する日が続きました。残り1週間はstroke teamで脳梗塞後の管理や画像診断について学びました。ホプキンスではレジデント同様に学生も働きます。チームに溶け込み、仕事仲間として信頼されるほど熱心な指導を受けられますし、仕事を任されるようになります。診察や手技の手伝いをはじめ、例えば新しい患者さんの情報を取り寄せる場合でしたら情報開示の書類を書き、患者さんのサインをもらって他院に電話をしてカルテをFAXで送ってもらい、厚いカルテから情報を選びレジデントに報告する、といったものなど自分からできる仕事が次第に増えていき、少しずつ前進しているのを感じることができました。また、学生たちは大学を卒業してから医学部に入学していることもあってか、戦略的に将来を見据えた上で実習し集中的に勉強しており、大きな刺激でした。空いた時間にテキストや論文を読み込んでおり、症例に対する鋭い考察力には圧倒されました。ハーバード大学出身であったり、元オリンピック選手であったりと驚くような経歴を持っていてもそれを感じさせず、私のカルテを見てくれたりととっても気さくで親切で、このような学生と同じフィールドで共に学べたのは、とても良い経験になりました。


 3ヶ月目の血液内科では入院患者の担当に加えてコンサルトも担当しました。正解の無い状況の中でベストの治療を模索する難しさや、持っている知識を応用するだけでなく絶えず最新の情報にアクセスして日常の診療に取り入れていくことの大切さを学ぶことができました。血液内科では疑問点を教科書ではなくUp To Dateや論文から解決する習慣が身につきました。また治療選択の根拠となる論文を毎回紹介され、先生方が常に論文を読み、重要なものは記憶していることに驚きました。


 英語力に関しては、現地の学生と同じパフォーマンスを求められるという環境の中で、大きく成長できたと感じています。「日本人」「留学生」としての特別扱いはありません。英語はコミュニケーションの道具に過ぎず、重要なのは話す内容だと実感しました。始めは私のリスニング力不足と医学知識の不足が原因で話の内容が聞き取れないこともありました。また、論文1つ読むのも遅く、もどかしい思いをすることもありました。しかし、気持ちを切り替え、医学を議論できるレベルに近づくために回診での会話を録音し、家でディクテーションして英語表現を覚えるようにしました。また、担当患者さん以外のカルテを印刷し、現在取り組んでいる問題点や治療法を把握するようにしたところ、回診で質問に答えたり逆に質問したりすることが増えて、理解が格段に深まったように思います。


 この留学を通してアテンディングの先生の仕事に対する姿勢に触れたことは、将来のビジョンを思い描く良い機会になりました。いきいきと仕事をこなす姿は眩しく、レジデントは4日に1度の当直というハードスケジュールをこなしつつ、夫や子供との時間を大事にしていました。そして、患者さんに寄り添い愛され、専門分野を究めて成長し続けるという医師人生の素晴らしさを教えてもらいました。さらに、目標にしたいと思ったドクターや友達、ナース、可愛がってくれた担当患者さん、笑わせてくれたルームメイトなどに巡り会うことができ、この出会いは宝物になりました。


 留学前は全米トップのホプキンスでの実習は限りなく高く見えた山でしたが、いざその山に登ってみますと目の前に広々とした景色が広がっており、日本とアメリカの医療のそれぞれの良さを冷静に見つめることができました。素敵な機会を恵んでくださった粕谷先生をはじめ国際連携室の皆様方、ここまでご指導くださった名古屋大学の先生方に深く感謝申し上げます。そして、パソコンを通して元気をくれた留学組のみんな、ポリ班の友達、そっと背中を押してくれた父母などの優しさに支えられ、充実した実習を進めることができました。来春からは研修医としての1年が始まりますが、今回経験したことを忘れずに大きな視野を持って努力していきたいと思います。本当にありがとうございました。

Johns Hopkins大学留学体験記

王 正 (Johns Hopkins大学)

 Johns Hopkins Universityに2013年の3~7月に留学させてもらった王正です。
留学に興味を持ったのは4年生の後期に国際交流室の先輩方の体験記を読み、漠然と留学楽しそうだな、アメリカ留学とか何かよく分からないけどカッコいいな、と思ったのが最初でした。ちょうどその頃に医学の共通言語が英語であると知り、英語力が医師としての能力を考える上で重要で、受験以来低下し続ける自分の英語力に危機感を抱いていました。英語力の向上とアメリカの医学教育の体験という一石二鳥な臨床留学は当時の私には本当に魅力的でした。


 私が留学先にJohns Hopkins を選んだ理由は世界的にトップクラスの病院であること、世界中から留学生が訪れ様々な人と出会えること、留学生を受け入れ慣れていることなどがあげられます。
Johns Hopkins UniversityではAnesthesia, Emergency Medicine, Hospitalistにそれぞれ4週間、4週間、6週間とお世話になりました。初めの2週間は特に言葉の面で苦労しましたが、病院やその科ごとの仕組みなどに慣れてくるにつれ、徐々に実習のコツがつかめてくるようになった気がします。それでも言葉の壁は大きく、特に医師同士の会話は速い上に略語だらけだったため、理解するのは最後まで苦労しました。

 

 以下各科での実習内容について書きます。

 

1. Anesthesia
 1週間ごとに一般麻酔、心臓麻酔、産科麻酔、小児麻酔&移植麻酔と回らせてもらいました。基本的に研修医または上級医につき、術前評価(Mallampati分類など)や、ライン確保や、バッグアンドマスク、気管挿管を行いました。手術中は先生方とフリートークで医学の話から雑談まで幅広く話しました。週に1度Morning Roundが朝6時にありましたが、その準備のために学生は5時過ぎに病棟に行ってカルテにバイタルサインなどを書き写さねばなりませんでした。回診中に自分にできることといえばチームの担当患者のカルテを集めてカートに乗せ、回診の先回りをすることぐらいでしたが、だんだん様子がつかめてくると信頼度も上がっていき、新入院の患者の入院サマリー作りを1人でやらせてくれたりしました。また産科麻酔の先生のご好意で1週間BostonのMGH, BWHにも行かせていただきました。

 

2. Emergency Medicine
 救急部はシフト制だったため、初日に他の学生と相談しながらかち合わないようにして自分たちでシフトを組み、豚足を使った縫合練習をしました。シフトは8時間と12時間の2種類とEMSと呼ばれる救急車シフトが基本で、希望者はドクターヘリにも乗れます。それ以外に、金曜日午前はresidentが主催するresident・attending・学生が対象の講義、他大学講師による講演会などが行われていました。ちなみに8時間シフトには7.am-3.pm、3.pm-11.pm、11.pm-7.amの3種類がありましたが、日中のほうが忙しく、夕方~深夜の時間帯にはtrauma, GSWが多いなどの特徴がありました。シフト中に学生がやることは、患者を診察しassessment & planを含めてresidentやattendingにプレゼンし、フィードバックを得る、というものでした。その後はその患者についてのオーダー出しや検査結果の追跡など、適宜residentを手伝うという感じでした。また、忙しい中で教育的な先生が多く、attending は頻繁にresidentに「気をつけるべき合併症は?」「最近ではどんな治療法がいいと言われている?」などと質問をし、residentは学生に対して「忘れちゃいけない鑑別診断は?」「どの抗生物質を処方する?」などと質問し、頭の回転を速くするための訓練を頻繁にやっていました。毎週金曜日の朝に行われていた講義も、学生からattendingまで全員が参加するというもので、記憶を整理して情報を更新する努力が医師同士の間でも頻繁になされていました。実習最終日には、実習中に遭遇した印象的な症例について学生全員が一人ずつ発表しました。

 

3.  Hospitalist
 日本ではまだあまり見かけない科で、入院専門の総合診療内科という感じの科です。他の科と違いresidentがいなかったので学生の受け持ち患者が3~5人と多いです。新入院の患者が来ると、「じゃあ病歴聴取と身体所見をとってきて」という感じで入院サマリー作りをして、自分なりのassessment & plan, 検査の仮オーダーをしてからattendingにプレゼンをするというのが基本でした。他科にコンサルトする事が多いのでpagerと呼ばれる携帯の様な道具を使い他科に連絡したり、電話を使いプライベートクリニックに連絡して転院の手続きをしたり、退院後のリハビリ施設への連絡など雑用からミニ講義、論文の抄読会など幅広い事をやらせてもらえたり参加させてもらいました。
 6週間の間に自分の受け持ち患者だけで2件のVREが検出されたりしたことを見ても、衛生意識は日本の病院のほうが高いように感じました。しかし、針刺し防止に対する意識は非常に高く、すべての針器具にリキャップ防止の細工がされており、各病室や廊下のいたるところに針用ゴミ箱が設置されていました。手術中の手袋も必ず2枚重ねでした。

 

 最後になりましたが、留学中には様々な人々に助けられ、お食事を御馳走になったり優しく面倒を見ていただきました。留学にあたりご尽力いたただいた粕谷先生、現地でお世話になった岩間先生、林先生、本当にどうもありがとうございました。

Duke大学留学報告

佐用 旭 (Duke大学)

 僕は2013年の5月末から8月上旬までの3ヶ月間、アメリカのDuke大学で臨床実習をさせて頂きました。実習科目は消化器内科、肥満内科、腎臓内科です。成功より失敗が遥かに多い3ヶ月でしたが、学んだことは多く、自分が思い描いていた将来の計画を大きく変更するきっかけにもなりました。このような素晴らしい機会を与えて下さった名古屋大学には大変感謝しております。

 

 さて、実習初日ですが、いきなり思ったように物事が進みません。メールで実習の責任者から以下の指示が事前に与えられていたので、それに沿って行動しようとしました。

 

Since both Jill and I will be away on Monday, please page Dr. *****at 9:30 AM on Monday and he will arrange to meet you and get you started in Hepatology.  His pager is 919.***.****.

 

 9時半になり、数日前に購入したばかりの携帯でその番号にかけてもつながりません。どうも携帯の電波が劣悪なようです。そしてそもそも僕はpageというものをよく理解していません。10分程あたふたしてから通りがかりの人に助けを求めました。Nurse Practitioner のアンさんです。事情を説明したところ自分の仕事で忙しいのにも関わらず僕を助けて下さいました。とりあえず彼女は僕の携帯からpageを試みましたが徒労に終わったため、次は彼女のオフィスからDr.*****に連絡をとることになりました。アンさんのパソコンからDr.*****のポケベルにメッセージを残し、その後Dr.*****が折り返しの電話をアンさんにかけて下さりました。しかし彼は、自分は肝生検で忙しい、かつ僕が直接彼に連絡をとるようにとアンさんに伝えて電話を切ってしまいました。「今つながっていたその電話を利用して僕と話せばよかったじゃないか。」と思いましたが、「そういえばここは日本じゃなくてアメリカなんだよな。」と無理矢理自分を納得させました。


 その後、僕の持っていたiPadと機能するか怪しい携帯電話でDr.*****に連絡をとる方法をアンさんに教わり、電波が良いと思われるカフェテリアに移動しました。この時点でアンさんに会ってから1時間以上経過しており、これ以上彼女に迷惑をかけるのも忍びなかったので、感謝の意と、あとは自分でなんとかするという旨を伝えました。すると彼女は「私の息子も日本に行ったことがあり、その時きっと息子は日本人のお世話になっただろう。」とおっしゃりました。自分も日本で途方に暮れている外国人がいたらとことん助けてあげよう、とこの時激しく思いました。


 さて、アンさんに別れを告げてから早速iPadでDr.*****のポケベルにメッセージを送りましたがいっこうに折り返しの電話がきません。仕方が無いので彼が肝生検をしている場所に行こうと思い、カフェテリアを出ました。人に聞く前に自分で標識を頼りに探してみようと病院内をさまようこと約3分、非常に幸運なことに消化器内科の医局らしきものを発見しました。

そこでもまた事務の方に事情を説明し、助けを求めました。対応してくれた方々は非常に親切でしたが、日本から消化器内科に留学生がやってくるということはその場の誰1人として知らなかったようです。その後、紆余曲折を経てやっとDr.*****と電話で話すことができました。その日が僕の実習初日であり、まだ電子カルテをみるための設定等をしていなかったためDr.*****は「電子カルテにアクセスすることができなかったらやることないから、今日はその設定をしたら?」と僕に告げ会話が終了しました。当然その設定の仕方など知る訳も無いのですが、その後紆余曲折を経て別の先生につくことになりました。


 その先生のもとにたどり着くことができたのが13時頃だったと思います。昼食をとり、何人かの先生と世間話をして14時頃になった時、「今日は特にみるものがないから、帰っていいよ。」と言われ帰路に着きました。こうして無事初日を終えることができ、翌日からちゃんとした実習が始まりました。


 
 3ヶ月の留学で経験したことはたくさんありますが、印象に残っていることは医学そのものというよりは、上記のような体験や、タクシーの運転手にぼったくられたこと、タクシーの運転手にぼったくられた僕を不憫に思ったのか片道30分の距離をただで運転してくれた親切な人等々です。考えてみれば当然ですが、医学だけを学ぶのであれば名古屋大学で母国語の日本語を使って学んだ方が、圧倒的に効率がいい。しかも医学部6年生が学ぶべき医学というのは基礎的なものであって、何も外国でなければできないことではないはずです。それにも関わらず、あえて留学をする意義というのはやはり、「広い世界をみる」とか「国際経験を積む」とか「異国の地で人の優しさに触れる」とか「先生と連絡がつかなくても、めげずに行動し続ける」といったことではないでしょうか。これらの経験を通して、少し成長することができたような気がします。

2013年度派遣留学体験記 米国ペンシルベニア大学

高田 まり (Pennsylvania大学)

 私がこの留学で得たものは、医師としての英語学習の目標と社会的価値観の自覚、友人です。入学後、武川睦寛先生(現東京大教授)の下で研究の楽しさを知った私は、名大医学部の素晴らしい制度によりご支援をいただき、長期休暇を利用して米国の研究室で2度のインターンシップを行うことができました。基礎から臨床での実用化に向けた橋渡しが日本以上に強化されている様子を見て、今度は臨床を見ることができたら、と漠然と考えていた中、ポリクリでのある経験が契機となって「なぜ国によって治療に使える薬が違うのか」という点から医療制度の違いについて関心を持つようになり、この度、米国東部の都市であるフィラデルフィアにある、ペンシルバニア大で2か月間の派遣留学をさせていただきました。


 実習が開始して最初の1週間は医学と英語の嵐の中にいるような気持ちでした。しかし、知らないことやできないことがあるからこそ留学に来たいと思ったのだ、と思い出してからは、学ぶことが楽しく、充実した毎日を送ることができるようになりました。当初は毎日のように渡されるガイドラインや論文を必死で読むばかりでしたが、こうした気持ちの変化から、気になったことは自ら調べ、文献検索を宝探しのように行っていました。すると、周囲から多くの助言やフィードバックがもらえるようになり、苦労はしつつもコミュニケーションの点で言語や文化の違いを負に感じることはなくなっていきました。英語を医師として今後どのように学習していくかの手がかりを得たのはそんな時でした。私たちのチームは非常に稀な症例に出会い、治療方針として日本からの報告が採用されたのです。英語が科学の分野で世界共通語となっているとよく言われていることではあります。今回、英語で自分の経験や考えを発表することで、遠く離れたどこかで誰かの助けになるかもしれない、と英語での論理的作文を自分自身の問題・目標として捉えるようになりました。


 外国の医療を体験できたこと自体も、自分の価値観を明確にできて大変有意義でした。最先端の医療や研究を学ぶことももちろん重要です。しかし、現在の日本においては外国の優れた医療・教育制度を取り入れていくということも、患者さんやひいては社会全体に貢献するためには今後ますます必要なことだと考えられます。一方で、そうした社会制度やシステムがいかに文化や社会的価値観と表裏一体となっているかを滞在中実感しました。振り返ってみれば、異なるものに触れたときこそが自身のアイデンティティについて考え自己を変容させるチャンスであり、そうした体験が個人としても、また、待ったなしの医療改革を迫られる将来の医療従事者としても貴重な経験であったと感じています。


 また、実習以外の時間も、あちらでできた友人のおかげで楽しく過ごすことができました。千本もの桜が花咲くフェアマウントパークでのお花見、実習帰りのおやつ、映画館へのお出かけなどを楽しみながら、他愛のないことはもちろん、それぞれの国の文化や制度について話し合ったのはとてもいい思い出で、帰国後も連絡を取って互いに励まし合っています。フィラデルフィアという都市についてほとんど何も知らずに渡米しましたが、市の中心が西と東に流れる川に囲まれる風情のある街で、石畳の美しい歴史地区や、緑の綺麗な大学の広大なキャンパス、バーンズ・コレクションにロッキーの映画で有名なフィラデルフィア美術館といった重要な文化施設など、魅力を挙げればきりがありません。写真はフィラデルフィア管弦楽団の演奏を聴きに行った際に撮ったものです。実習終了後は、以前の滞在でお世話になった先生方や友人を訪ねながらボストン、ニューヨーク、ワシントンと東部の都市を巡りました。中でも、呼吸器内科学から留学されている佐藤和秀先生がご招待くださった、アメリカ国立衛生研究所の見学は強い印象が残っています。数多の建物が野生動物の住む森の中に散在し、想像していた以上のスケールに圧倒されるばかりでした。


 長いと思った6年間もいよいよ終わりが近づきつつあります。今後も、異国に飛びこんで培った前向きさで、楽しみながら頑張ります!皆さまに感謝の気持ちを込めて。

University of Pennsylvaniaと Freiburg Universityでの実習と得たもの

水田 このみ (Pennsylvania大学/Freiburg大学)

 この度、アメリカのPennsylvania大学で2ヶ月間、ドイツのFreiburg大学で1ヶ月間、臨床実習をさせていただきました。


 Pennsylvania大学は通称ペン大と呼ばれ、Philadelphiaという都市にあります。名大との交流も深く、多くの先輩がお世話になってきた大学です。アメリカで最も歴史のある大学病院でもあり、街の中にも歴史ある風景を見ることが出来ます。3月のPhiladelphiaはまだ雪が降っており、ダウンジャケット等持ち合わせていなかったことを後悔する日々でした。


 1ヶ月目はCHOP (The Children’s Hospital Of Philadelphia)で小児内分泌の実習を行いました。さすが全米有数の小児病院。外装も内装もカラフル、建物は大きく吹き抜けになっており、とても明るい雰囲気の病院でたくさんの子供達が各地から集まっていました。小児内分泌科では、コーディネートして下さった先生のご配慮により、外来、入院、コンサルトと全てに参加することができました。特に外来では様々な先生につかせていただき、今見た症例について1対1で教えていただくことができ、また勉強してくる課題や文献を与えて下さったことがとても嬉しく、充実していました。また病棟はresidentの活躍の場であり、受け持ち患者さんのプレゼンを毎朝のラウンドで行っていました。病棟での最後の日に、どうしてもプレゼンがしたいとattendingの先生にお願いして朝のプレゼンをさせてもらうことになりました。親切にもresident達が協力してくれ、どうにかプレゼンを行うことができましたが、彼らのプレゼンに比べると天と地の差でした。悔しい思いをしている私に”Konomi! Good job!”とチームメンバーが優しく声をかけてくれたことが忘れられません。
1週間に3度は入院カンファレンスやfellowやresidentのための勉強会、外部の先生を呼んでの研究報告会がひっきりなしに開かれていて、新しい知識に対してとても貪欲で、とてもアカデミックな場だということを再認識しました。総じて、子供達のために妥協せず真剣に取り組む、小児のプロフェッショナルの先生方を拝見することはとても良い刺激になりました。


 2ヶ月目のNICUローテーションでは、病院を移り、Pennsylvania Hospitalに通いました。ここは全米最古の病院で、Surgical Amphitheater (手術を公開で行う円形劇場)が今でも残っています。NICUを選んだ理由は小児科に興味があったことに加え、先生方に比較的時間的余裕があるということと、救急医療とその管理に興味があったこと、また手技をやらせてもらえるチャンスがあるかもしれないと思ったことです。こちらのNICUでは学生の受け入れに力を入れており、学生の対応に慣れていたこと、またコーディネーターの先生が外国人であったことから、留学生に対しての理解もあり、とても温かい雰囲気で迎えていただきました。
 朝の診察をした後、新生児1人1人の一晩のデータをまとめラウンドで発表するというルーチンがありました。先生と仲良くなると、こちらの必死さが伝わったのか、毎日課題を出してくれるようになり、それについて発表するということを繰り返すうちに、多少ですが文献の検索能力やプレゼン力がついてきました。最初は、壊れてしまうのではないかというくらい繊細な赤ちゃんを触るのが怖く、またインキュベーターの開け方すら知らなかった私ですが、赤ちゃんを毎日診察するうちに彼らの変化が分るようになりました。バイタルや症状について理解できるようになり、また出産に立ち会うごとに生まれたばかりの新生児の状態を評価できるようになり、実習に慣れてくるとともに、勉強することが山積みで、まだまだ日本に帰りたくないと思う毎日でした。


 滞在先のInternational House Philadelphiaには世界中から多くの留学生が来ており、そこでできた友達と一緒に食事をしたり語り合ったりすることで、精神的にとても助けられていました。同じフロアのカナダ人の友達は医学部を目指して大学院で腫瘍についての研究をしており、私の留学中にカナダの医学部に入学が決まり、一緒になって大喜びしました。2人でお祝いにお寿司を食べに行ったことはとてもいい思い出です。またフランス、ドイツ、ベルギー、コソボ、メキシコ、韓国からの留学生とは毎日のように顔を合わせて語り合いました。


 また、滞在中にCHOPのPICUでAttending Doctorとして活躍していらっしゃる西崎先生にお会いできました。思うようにいかず自分に自信がなかった時期に先生にPICUの中を案内していただき、周りのスタッフやドクターまた患者さんに慕われている先生を見て、自分のやるべきことを再確認することができました。先生にはホームパーティやお食事にご招待いただき、また沢山の助言を頂いたこと、本当に感謝しております。
 その後、アメリカの実習が終わり、ドイツの南西に位置するFreiburgという街に飛びました。大聖堂を中心に街ができており、自然あふれるとても美しいところでした。Freiburg子供病院では血液•腫瘍内科を回らせていただきました。現地では基本的に医師が採血から診察、今後の手配をし、診察後は電話や書類の手続きに追われており、アメリカとの相違点や日本との類似点を発見することもありました。特に親切にして下さったヨハン教授とアナ先生からは外来診察を一から教えていただき、次第に診察やカルテ記載を任せてくれるようになり、とてもいい経験をさせてもらえました。日本に興味を持って下さり、3人でよく一緒に折り紙を折りながらお話したことはとてもいい思い出です。ナースの皆様もとても気さくで、とても親切にしていただきました。小児腫瘍に対する私の考えも変わり、腫瘍の分野についてより勉強したいと思うようになりました。先生方に出会わなければ、このような沢山の有意義な経験はできなかったかもしれないと思うと、人との出会いを大切にしなければいけないと改めて思いました。


 留学の準備中、Freiburgからの留学生にはドイツでの住居探しを手伝っていただきました。また彼女に紹介してもらった現地の医学生達には何から何までお世話になり、沢山の楽しい思い出を一緒に作ってくれました。彼らには感謝してもしきれません。


 この2ヶ国の留学を実りあるものにできたのは、国際交流室の皆様にご尽力いただき、また現地の先生方や病院スタッフの方々が、外国人で言葉も十分でないにも関わらず、私に親切に接して下さったからだと思います。自分自身は一つでも多く学びたいと無我夢中でしたが、気づけば周りの人々の優しさにいつも助けられていました。感謝の気持ちを持つことの大切さを学んだ、盛りだくさんの3ヶ月でした。

留学体験記 Tulane大学 Stanford大学

伊藤 洋人 (Tulane大学/Stanford大学)

私は米国、Tulane大学にて4月から12週間、Stanford大学の研究室にて3月に4週間、実習をさせて頂きました。いまこうして体験記を書いていると、留学に行くための試験勉強や留学の準備、そして米国でできた友人やかけがいのない経験など、様々な事が思いだされ、早くも懐かしく感じています。

 

【将来、留学に行って何がしたかったのか?】
私は将来ニューロサイエンスに携わりたいと思っています。今回の留学では、将来のキャリアプランを模索し、自分がこれから身につけておくべき事はなにかを知りたいと思い、唯一の超大国といわれる米国への留学を志望しました。しかし、ただ派遣されるだけではなく、「留学に行って何がしたいか」考え、ある尊敬するお方から頂いた言葉ですが、「自ら機会を作り、自ら学ぶ機会としよう」と思いました。今回、私は以下のことを意識して行動しました。
① 米国の医療、臨床、基礎研究共に視察、情報収集し、将来像のヒントを得る事。
② 米国で積極的に行動し、自分の幅を広げ、視野を広げる事。
③ 英語で人間関係を築けるようになる事。

 

【GI、Pulmonary 実践的な勉強】
Tulane大学の実習ではGI、Pulmonary、Neurology、ERで実習させて頂きました。GI、Pulmonaryではレジデントやフェローが熱心に教えてくださり、だんだん患者さんのFirst touchも任せて頂けるようになり、自分の意見を言えるようになりました。教育は実践的で、「患者さんのこの検査結果が明日までにでるから、この論文を読んでどう解釈したらいいか考えて明日プレゼンして」といった具合で医学を学ぶ事ができました。これから国試の勉強をしていく中でも、現場を意識した勉強をしていきたいと思います。

 

【Neurology】
Neurologyでは、患者さんのフォローや外来で初診をさせて頂きました。優秀な現地の学生と一緒に周れたのも刺激になりました。実習でも講義でも突然皆の前で意見を尋ねられる事が多くありました。準備時間があるならいざ知らず、目の前の患者様の治療方針について、あやふやな知識も多い中、アドリブで意見を論理的に述べることは、最初は辛いものがありました。しかしプレゼンの課題をたくさん与えられ、それらを行う中で、自分の中で使える知識、言葉、テンプレートが増えました。その結果、その場で鑑別診断や治療方針などを求められた時、自分の意見をみんなの前で表明する事にも慣れてきました。例えば、以前に読んでいた論文をもとに昏睡の予後の評価を皆の前でアドリブでできた時には、大きな達成感を感じました。Neurologyでは、「意見を言わなかったら何も知らないと同じように受け止められる」という危機感のもと、自分の意見を持ち、積極的に発言するようにしていました。積極的に発言していたことがきっかけでAttendingに家に招待して頂いたり、友人と遊びまわったり、人間関係も築くことができ、良い思い出になりました。また、目標としていたレコメンデーションレターももらう事ができました。

 

【ER 分業、専門化】
 ここでの体験は衝撃的でした。New Orleansは治安が全米で有数に悪く、貧困層の多い都市です。私が実習した病院は無保険の人や低所得者用の保険に入っている人向けの州立病院でした。Stanford大学で救急を見せて頂いたとき、「アメリカのERはコミュニティを映し出す鏡」と言われていた通り、格差社会アメリカの歪んだ一面を見たと同時に、日本の医療の良い面を再認識しました。実習で一番印象的だったのは、Stabbingで首と背中2箇所を刺され、心停止で運ばれて来た患者さんのケースでした。Trauma専門のAttendingがいて、ある条件を満たした患者さんがくるとTrauma teamが結成されます。救急隊から連絡がはいると、入り口すぐ横にあるTrauma roomにTrauma teamが集まり、ERのレジデントから外科のレジデント、Trauma attending、情報を入力するナース、補助するナース、それぞれ役割から立つ位置まで決まっていて、十数人のスタッフが対応にあたります。患者がマシーンで蘇生を受けながらやってきて、そこからは圧巻の速さでした。すぐさま開胸、直接心臓マッサージ、心肺蘇生を行い、動き出した心臓を見た時は感動しました。ものの10分もかからずに外科室へ。米国の医療の分業と専門化を垣間見た瞬間でした。

 

 【実習その他 友人 文化】
 Tulaneには世界中から優秀な学生が集まり、そういった学生と交流できた事は刺激的でした。また、私は名古屋大学医学部に留学生と交流するコミュニティを作っていて、そこで知り合ったTulaneから来た友人とさらに現地で交流を深められ、生涯の友といえるような友人もできました。そういった交流を通じて聞いた話や、彼らの価値観に触れることで、米国の「分業」「合理性」「効率化」「競争」「一般化」「自主独立」「人をうまく回す組織作り」といった事を大事にする風土にも触れました。同時に「みんな同じ」が美徳というように感じる日本との違いを感じました。また友人はビジネススクールとメディカルスクールを同時に通うなどしており、ただ単にレールに乗るのではなく、自らキャリアプランを考え、必要な事を自分で考えて行う事が当たり前でした。そういった所に自主独立の気風を感じ、米国の経済、政治など、様々な面における芯の強さを感じました。

 

【実習その他 研究】
米国で行いたかったことの一つに、基礎、臨床研究の視察がありました。Stanford大学の西野先生の研究室に一か月の間お世話になり、ピッツバーグ大学の岡田先生、土井先生、JHUの澤先生の研究室を見学させて頂き、Mayo clinicでは原田先生、金井先生、MGHでは坂野先生にお話を伺わせて頂きました。名古屋大学出身の様々な方に助けて頂いて、様々な日本人研究者の方にもたくさんお話を伺い、視野、見聞を広める事が出来たと思います。この場を借りてお礼を述べさせて頂きます。誠に有り難うございました。
基礎研究に関して言えば、臨床と基礎の人のつながりが深い事が多く、臨床の研究にもPHDの方が多くいらっしゃるのが印象的でした。こういった事が医療の産業化につながっているのではと感じました。設備に関しても、例えばStanford大学では大動物用のMRIを何個も持つなどFDAの認可、臨床研究を意識した設備、プロトコールが印象に残りました。ただ一般に設備がすごいというより、資金が豊富で、研究に集中できる環境があり、世界中から優秀な人間を集めてマンパワーがあるという印象がありました。


そして臨床研究に関していえば、大きな違いを感じることもありました。臨床研究のCore Facilityには統計の専門家(例えば前向きのデザインを手伝う)、Research coordinator(患者さんを集め、各種手続きを手伝う), 治験ナース、Clinical service(例えば後ろ向き研究をしたい時に必要なデータを集めてくれる)といったM.D以外の人が臨床研究をサポートしてくれる部門があり、例えばピッツバーグのキャンサーセンターだけでも、50人近くがそこで働いていました。そこでは治験だけでなく、いわゆる臨床研究もサポートしてくれるそうです。また、特にMayoで印象に残ったのですが、実践的な臨床研究用のデータベースがあり、後ろ向きの臨床研究などを容易にさせています。そういった環境が、一般医師がキャリアを積む際に基礎研究より臨床研究を選びやすくさせていて、実際Tulaneで一緒にラウンドをしていた学生やフェローも、次の期間ではデータベースをもとに後ろ向きの臨床研究をするといっていました。各々キャリアを自分で考え選ぶ風土、そして臨床研究を容易にする環境が、臨床研究が米国で盛んな理由の一つではないかと感じました。また、多くの大学で疫学者、研究者、臨床医がコラボレーションし、積極的に自分達でFirst Standardを創り出そうという意気込みが感じられたのが印象的でした。

 

【世界の中の日本、医師】
留学では広い視野で人生を見つめるきっかけを与えてくれました。私見ではありますが、今後、世界ではグローバル化がさらに進み、国際経済競争が激しくなり、その中で日本の医療の行く先は大きく二つのベクトルに分かれるのではないかと思います。一つは医療の効率化、そしてもう一つは医療の産業化です。
今日、少子高齢化社会が急速に進み、社会保険費の税収に占める割合が急速に伸びる中、国民皆保険を現在の形で存続させる事は困難なように思われます。しかし政治的には国民皆保険を廃止する事はとてもハードルが高く、そういった状況で医療を「国民全員が同一のサービスを同一の値段で」存続させる為には、欧州でよくある「フリーアクセスの廃止or強い制限」と「より本格的なかかりつけ医の導入」がカギになるのではないかと思います。プライマリケアを重視したスーパーローテートの導入や昨今の厚労省による総合専門医創設をめぐる論議も、プライマリケアのできる医師の育成、専門医を診療報酬により利用しやすいようにし医療を誘導する事を目指すといった視点からみると、納得できるもののように思われます。現実にはどのような段階まで進むかは別にして、最終的には米国のように各病院のレジデンシープログラムごとにより厳しく定員が定められ、各科の医師の数も行政である程度コントロールする事が行政の目標なのではないかと思います。


そして次に、医療の産業化です。医療の産業化を進めるという政策はどの政権でもあまり変わらないかと思います。例えば、アベノミクスの三本の柱のうち一つの成長戦略に「医療の産業化」は含まれており、産官学の連携を進め、研究の効率化、産業化を図る予算分配を可能にする日本版NIHの創設が検討されています。日本には世界トップレベルの基礎研究、Seedsがあり、橋渡し的研究の促進は社会的要請のように思われます。今後、医学部内にはPHDが増え、今より多岐に渡る臨床研究のサポート体制ができ、統計の専門家や創薬に関するノウハウを持つ人材の登用といった、産業化に向けた臨床研究の環境整備が行われていくのではと思っています。
一方、個人で見ると、専門性を持った臨床教室や基礎教室といった枠の中でキャリアを積むことが医師、研究者としては一般的なのではと思います。

 

【将来に向けて】
 私は将来、ニューロン、グリアに関わる研究者、医師になりたいと思っています。様々な医師像、研究者像がある中で、私にはどういった選択肢がありえるのか、留学の経験を踏まえて考える事が出来たように思います。まず、先に述べたような産業化が日本で進むならば、現場を知っていて、臨床研究と基礎研究の素養を持ち、様々な専門家と人間関係を築く事で基礎と臨床を繋げる事のできるM.Dも必要とされるのではないかと思いました。同時に、私は素朴な疑問、好奇心を大切にできる医師、研究者を目指したいと思っています。いずれ基礎研究にも挑戦できたらと思っていますが、まず簡単なものでも臨床研究に早いうちから興味を持ち、そういった専門家のお話なども聞くようにし、素養を学んでいきたいと思います。
将来の留学に関しては、臨床研究で留学に行くことも選択肢にある事を知りました。また将来留学の必要性を感じた際は、留学先のリサーチをしっかりし、基礎研究にしろ、臨床研究にしろ、お客様扱いではなく、そこで勝負できるようなサバイバル精神、英語力、コミュニケーション能力を身につけたいと感じました。

 

【支えと感謝】
 今回の留学で、自分は様々な方に支えて頂いている事を実感しました。この素晴らしい経験を今後の人生に活かす事で、より輝かせていきたいと思います。留学先で出会った先生方、留学の仲間、友人達、国際交流室の先生方やスタッフの皆様、そして家族。留学を支えて下さった全ての方にお礼を申し上げます。誠に有り難うございました。

2013年Tulane大学留学報告

杉原 実 (Tulane大学)

2013年4月中旬より、アメリカはニューオリンズのTulane大学にて臨床実習をする機会を頂きました。ニューオリンズは毎週のようにどこかしらでフェスティバルが行われている南部有数の観光都市で、その中でも一際にぎやかなダウンタウンから徒歩数分のところにメディカルスクールと大学病院は位置します。私が滞在したのは大学病院に併設されている学生寮で病院とダウンタウン双方に非常に近く、ニューオリンズの街を堪能しながら楽しく実習することができました。

 

1ヶ月目は血液/腫瘍内科を回りました。私が配属されたコンサルチームは小さなチームで、最初は自分を含めて3人でした。朝病棟に行き、担当の患者さんのデータをチェックし、問診と身体所見を取り、回診の時に上の先生にプレゼンをするというのが毎日の仕事で、それに加えてカンファレンスや検討会、レジデント向けのレクチャーなど盛りだくさんの毎日でした。回診では造血器疾患に固形腫瘍と、本当に様々な患者さんを見ることができました。私を担当してくれたフェロードクターは非常に教育的な方で、回診中や移動中に積極的に質問を投げかけてくれ、分からなければ丁寧に教えてくれました。また論文や特定のテーマについてのプレゼンも何度もさせてもらいました。論文を渡されEnjoy!と言われた時はちょっと笑いそうになってしまいましたが。最初に回った科ということで大変なことも多々ありました。慣れない環境の中、英語力と医学知識についてもまだまだで、最初は回診がかなり辛く感じました。その不足分を補うため事前に回診する患者さんについて綺麗とは言い難いカルテと格闘しながらばっちり予習をし、積極的に自分から質問することを心がけました。学生が自分1人だけということもあり正直心休まらない1ヶ月でしたが、得たものは非常に大きかったと思います。

 

2ヶ月目は神経内科を回りました。一緒に留学した伊藤君と共にこちらでもコンサルチームに配属されました。同じチームに現地の学生も3人ローテートしており、ほかのチームにもたくさん学生がいてレクチャーでは一緒になるということもあり、先月とは打って変わってワイワイと楽しい雰囲気の中ローテートすることができました。現地の学生と一緒に患者さんを診ることになったので血液内科のように自分1人でという感じではなかったのですが、実際に回診でのプレゼンもさせてもらえ、疾患その他についてのオーラルプレゼンテーションもしっかり現地の学生と同様に割り振って貰えました。またstroke centerやcharity hospitalでの実習もあり、実際に外来患者さんを診察することもできました。初めて現地の学生と一緒にローテートしてみて、やはり向こうの学生は基本的な知識もさることながら、データへのアクセス能力とプレゼン能力が非常に高いなと感じました。実際に患者さんを毎日診つつ、生じた疑問はUp To Dateや時には論文まで参考にしながら主体的に解決していく姿はさすがだなと思いましたし、プレゼンも「聴衆が心地よく聞ける」もので非常に勉強になりました。

 

Tulane大学に留学させて頂いたことで、日本にいただけでは出会うことのできなかった多くの人に出会うことができ、その人たちの話を聞くことで、自分の将来についてより広い視野を持って考えることができるようになったと思います。当初、留学に行くべきか否か非常に悩み、また留学が決まった後も準備の大変さに心が折れそうになったこともありました。そして留学中も決して楽しいことばかりではなく辛いことも多くありました。ですが今思い返してみるとその代わりに、貴重な経験と楽しい思い出を間違いなく手に入れることができたと思っています。今回このような貴重な機会を与えてくださった国際交流室の皆様、学務課の皆様、事前研修でお世話になりました先生方、先輩方、一緒に留学した仲間、経済的に支えてくれた親には感謝してもしきれません。本当にありがとうございました。

Tulane大学留学を終えて

鈴村 文那 (Tulane大学)

私は2013年4月から3ヶ月間Tulane大学に留学させて頂きました。陽気な人々の溌剌とした明るさと異国情緒が混ざり合い、独特な雰囲気を醸し出すニューオリンズに降り立ったときはこの街のどこかで1年の1/4も過ごすなんて想像もできませんでしたが、日々の実習に追われるうちにあっという間に1ヶ月、また1ヶ月と過ぎていきました。今成田へ向かう機内で少し感傷的になりながらこの実習を振り返っているところです。

1ヶ月目は外科(血管・内分泌・小児グループ)で実習しました。私はレジデントとインターンと他の学生を含めて6人のチームに入れさせていただきましたが、このチーム全体で各アテンディングの担当患者を診ます。5時には病棟へ行き、カルテのチェックと患者さんへの問診・身体診察を行い、レジデントに報告できるよう準備をしているうちにあっという間に6時を過ぎ、回診が始まります。その後時間があれば一緒に朝食を摂り、オペまたは外来見学に移ります。患者の治療にあたり、執刀医であるアテンディングの指導を受けるレジデント、インターン、学生に対し効率よく仕事が割り振られており、それがチーム内の負担偏在の解消になるだけでなくそれぞれに対する教育においてもとても有効であったのが印象的でした。初めはリスニングで苦労しましたが、チームの温かさに支えられて積極的に学びにいけたのがこの外科ローテの醍醐味だったと思います。


2ヶ月目は内分泌内科を回り、veteran、charityといった日本にはないカテゴライズの外来を見学しました。そこで自分が興味をもった症例に関する論文や最新のガイドラインを適宜チェックして、EBMがどのように実践されているのかを追っていけたのは面白かったです。


3ヶ月目に選んだのは救急です。指定された2~3床にやってきた患者の問診・身体診察を行い、自分なりにたてたアセスメントも合わせてレジデントやアテンディングに報告するという、まさにこの留学の集大成ともいえる実習内容でした。緊急性が高い患者が集まるMER、主にトリアージを行うRTA、プライマリケアを行うUCと3つの性質のことなるブースから見学したいところを選べるのですが、私は救急車で搬送されてくるような症例がみたかったのと機会があれば縫合もやらせていただきたかったのもあって、全ての実習をMERで行いました。1回12時間の完全シフト制で、7時と19時に交代します。確かにこの12時間に緩急の波はありましたが、時間があったら他のブースにも行ってみたり自分の担当症例についてレジデントとディスカッションしたりと非常に満足度は高かったです。


医学教育の仕方が日本と異なるアメリカで現地の学生と同じように実習するのは“せっかく留学させて頂いたのだから何とかよいパフォーマンスをしたい”という思いが常にあった私にとって簡単ではありませんでした。普段使っている教科書やノートの復習だけでなく論文やガイドラインも適宜チェックして上級医に質問したりプレゼンしたりしましたが、自己満足にすぎないところも否めず、学生に求められるレベルに達しているのか半信半疑のまま実習するのは精神的に辛かったです。ただ、母国語を使えば曖昧に済ませられてしまうところも妥協せずに学びにいこうとした姿勢が伝わったのか、どんなに初歩的な質問にも上級医の方々がきちんと答えてくださったり、オペ見学やファーストタッチの機会を与えてくださったりしたときは、頑張っているのが認められている気がして救われました。インターン、レジデント、フェロー、アテンディングの違いがはっきりしていてある意味ヒエラルキーな色も強いアメリカですが、学びの場においてはみな平等で望めば誰にでも機会が与えられるところは魅力的でした。

この留学中様々な場面で日本とアメリカの違いに気づかされましたが、一番印象的だったのは保険制度の違いです。今回‘社会における医療の窓口’でもある救急を回ったことで現在アメリカが抱える問題を垣間見ることができました。保険外のためMRIを撮れずにそのまま放置していて診断が遅れたケース。治療を受ける金銭的余裕がないうえに多くの合併症があるためどの科も受け入れようとせず、結局いつも救急を頼ってきてしまうケース。どこでも同じ質の医療が提供されるという前提のもとで実績の差が隠されうる国民皆保険制度の意義に疑問を抱いていましたが、救急が最低限の医療を享受できない患者の受け皿になってしまっている現状を目の当たりにして、別の視点からの検討の必要性を痛感しました。


病院内の実習だけでなく、自分と異なるバックグラウンドを持つ人たちと交流できたことも一定以上の期間滞在したからこその体験であり、様々な文化に触れられたことは自分の価値観形成に大きく影響したと思います。当たり前だと思っていたことが他国の人にとってはそうではないと知り、日本の良さを再認識したこともありました。


 思えばこの留学の機会を頂く前に英語の勉強を始めてから今回の実習を終えるまで本当に多くの壁に直面しました。なかなか攻略できなかったTOEFL、思うように進まない医学の勉強、きちんと実習できるのかという漠然とした不安を抱えたまま迎えた初日。言葉の壁があることは出発前から覚悟はしていましたが、それが想像以上に高く厚いこと、また今まで医学を学んできた姿勢に妥協があったことに気づかされる度に自分の無力さを痛感し、何度もめげそうになりました。しかし解決すべきことは何かを考えて1つ1つ乗り越えていくことで達成感を得られましたし、自信にもつながりました。“千里の道も一歩から。”留学させていただいたおかげで、初めの一歩を踏み出す勇気とその後の積み重ねの大切さを再認識できました。将来医師になったときも挑戦を恐れずに努力することが今回の経験を活かすことなのだと思っております。


 最後になりましたが、この留学をご支援してくださった名古屋大学の先生方、国際交流室の先生方、学務の方々をはじめ研修会で指導してくださったフロンティア会の先生方・先輩方ならびにお互い励ましあい一緒に頑張った同級生に心から感謝したいと思います。本当にありがとうございました。
 

チュレーン大学の留学で学んだ事

長谷川 大祐 (Tulane大学)

私が留学したきっかけは、レベルが高いと言われているアメリカの医学教育を体験して、学生の内に刺激を受けてみたかったことである。自分の知らない世界を体験して、日本とは異なる様式や価値観に触れ、世界に対する見識を深めたり、日本の常識について再考したり、何か予想していない新しい事に興味を持ったり、興味に任せて勉強して、自分の将来の可能性を増やしたいという漠然とした期待があった。そんな中、アメリカのニューオリンズにあるチュレーン大学に留学させていただいた。チュレーン大学で、私は循環器、腎臓、呼吸器内科で1ヶ月ずつ実習した。


循環器内科では、前日に1人の入院患者が割り振られ、早朝に会いに行き、問診と身体所見をとって、治療法についての原案をカルテに書き、それを研修医の先生にプレゼンし、その後総回診について行きもう1度プレゼンし、午後にはEKGやエコーの読み方を他にいた大勢の留学生と現地の学生と一緒に講義を受けたり、カンファレンスに参加するといった日課であった。プレゼンを含む議論には常に答えとその客観的な根拠が求められ、また自分の担当の患者さんの情報は事細かに知っていることが学生にも求められた。現地の学生はさることながら、留学生も医学知識、情報収集力、英語の議論能力などはるかに上で当然のように日課をこなしており、圧倒されたが、優しい年下のインド人留学生に、はじめの頃は半ば通訳のような形で助けてもらい、何とか曲がりなりにも業務をこなすことが出来た。彼とは、毎日私の部屋で一緒に勉強し、医師としての将来の夢や、お互いの文化や歴史などを話したりして、良き友人となった。


腎臓内科では患者さんを1、2人割り振ってもらい、早朝の問診・身体診察・カルテ作成後、責任者であるアテンディングの先生に毎日、総回診時に直接プレゼンをさせて頂いた。自分のアセスメント、治療がそのまま採用されることも多く、調べることが大変だったが非常に自信となった。午後はクリニックの見学や、腎生検の病理カンファや専門医のための勉強会に参加した。そこでは年齢や身分など一切関係なくオープンな議論が行われており、研修医や学生であっても、意見を上級医にどんどん言って、積極的に議論に参加している様は非常に印象的だった。


呼吸器内科では、担当教官についてまわり、カルテを書いたり、気管支鏡検査や胸水穿刺などの手技を見学した。空き時間には先生方が熱心に感染症における抗菌薬の使い方や呼吸機能検査などのトピックで講義をしてくださって、また、論文のプレゼンをする機会もいただけた。嚢胞性線維症といった日本であまり見られない疾患を見ることもできた。

 

全体を通して、留学で学べたことは3つある。
1つ目は一方的でない教育、双方向性の教育の実践を見ることができた事である。何かを学習する際に、常に上の人が下の人に教えるのではなく、お互いが自分で到達可能な客観的根拠に基づく見解を持ち、その真偽を議論で決めるという知識の羅列では太刀打ちできない議論能力を要する学習法を学び、非常に合理的に感じた。


2つ目は、アメリカと日本の医療が向う共通点に気づけたことである。保険やその他制度には多くの違いが見られたが、私はその反対に共通点を感じた。その時できる最大限の治療を医師ができる限りの資源の中から提供することと、次世代のための治療成績向上を目指して、医学を前に進めるべく、基礎研究や臨床研究を粛々と進めることである。この姿勢は、多くの違いの中に共通して見られた。


3つ目は、様々な国の人の価値観や文化に触れられたことである。アメリカは人種のるつぼと言われるように、たくさんの2世、3世や留学生がおり、その人たちと英語という言語でコミュニケーションがとれ、今まで絶対に知り得なかった多くの価値観、考え方に触れることができた。それにより、同じ医学という学問を専攻する仲間が世界各地にでき、彼らと同じ1つの目標に向かって同じ方向を向いてこれから働くのだという国を超えた絆を感じることができ、これからの自分を支える大きな財産となるだろうと信じている。


留学で手に入れた多くの経験、モチベーションを将来の様々な場面で役立てたいと思う。留学を支えてくださった皆さん本当にありがとうございました。

Adelaide University留学を経て

竹市 陽介 (Adelaide大学)

 私がこの留学プログラムに参加した理由は多々あるが、もっとも根幹にあるものは純粋に面白そうだからという好奇心に他ならない。また、将来自身が海外で働く可能性を考えている今現在の自分はどの程度まで異なる文化圏、言語圏で対応できるのか試してみたくなったというのも理由の1つである。


 私が今回留学させて頂いたのはオーストラリアにあるAdelaide Universityであり、そこでBurn Unit、Acute Medical Unit、Orthopedics and trauma unitで実習をさせて頂いた。


 まず、最初のBurn Unitでは皮弁やBiobraneと呼ばれるartificial skin substituteを用いた熱傷治療を見学した。日本では一般的にBiobraneを含めたartificial skin substituteを熱傷治療で用いないため、その点において有意義な経験ができたと考えている。


 次に実習をさせて頂いた、Acute Medical Unitとは総合診療科の一部門のような扱いで救急外来に訪れた患者のうち2~3日の短期的な入院ケアが必要とされる患者を主に診ている。自然と扱う疾患は循環器疾患が多い。こちらでは比較的安定している患者を割り当てられ、問診、身体診察、assessment、presentation等を一通りさせて頂きその中で多くのことを学んだ。何よりも驚いたのは現地の学生が身体診察を含めた手技全般のレベルが高いということだ。Adelaide Universityでは医学部教育が6年間あり、1年生からほぼ毎年OSCEのような実技試験が課せられる。最初のうちは日本と同様に診察の型を覚えるだけだが実習に入る4年生からは実際の患者を相手とした試験が課される。私も実際に見学させて頂いたが、かなり難しい試験を突破しなくてはならない。年数は日本と同じだが国家試験に相当するものがなく、5年生の最後に課される試験が実質の国家試験のような扱いであり、6年生は研修医の手伝いを行って実際の仕事を学ぶ。つまり日本の研修医1年目相当が現地の6年生と考えて差し支えない。そのような状況の中、現地の6年生と同じ水準を求められたため、かなりタフな実習となったが得るものは大きかったと感じる。


 最後に実習をさせて頂いたOrthopedics and trauma unitでは、外傷治療とTHAやTKAなどの人工関節のオペを主に見学させて頂いた。日本やヨーロッパでは最近セメントを用いないTHAがよく行われているが、Royal Adelaide HospitalではProfessor Howieが”cement within cement”と呼ばれる方法を用いたTHA revisionのspecialistであったためprimary THAにもセメントを用いていた。名古屋大学病院やその他の関連病院実習で学んだ内容と自身が論文等で調べた知識をまとめてスライドを作り、THAに対しての私の考えを発表させて頂き、それに対してのfeedbackを含めた討論を行うことができた。この経験は知識背景がしっかりとしていれば言語の壁が多少あろうとも、高度な議論を行うことができるという自信につながり、とても良い経験だった。


 オーストラリアでの医療と日本での医療の違い、考え方の違いを様々な点で発見でき、それに対して考えさせられたことが今回の留学の中で自分を大きく成長させる要因になったのではないかと思う。日本の医療は世界の中でも高い水準であり、本当の意味で日本では見ることのできない医療というのは少ないように感じる。医師としての修練という目的ならば、ほとんどの治療技術を日本国内で学ぶことができる。しかしながら、文化的な背景や価値観による違いがある国に行って医療の現場を見るという経験は、少なからず我々日本人の蒙を啓くのではないかと私は考える。私は今後も積極的に海外にいく機会を得て行きたいと考えている。


 最後になったが、今回の留学という貴重な経験を得るのに際して支援をしてくださった国際交流室の先生方、学務課の方々、また留学前の事前研修に携わって頂いた講師の先生方に深い感謝の念を表し、私の留学体験記を結ばせて頂く。

イギリス留学から学んだこと

大橋 美紗 (Warwick大学)

私はイギリスのWarwick大学にて3か月間病院実習をさせていただきました。初めての長期海外滞在、初めての親元を離れた暮らし、見知らぬ土地、見知らぬ人々。不安を抱えて臨んだ留学でしたが、日々悩みながらも多くのことを吸収することができた貴重な体験でした。


 3か月間の実習では、腎臓内科、A&E(救急科)、神経内科、緩和ケア・腫瘍内科、GP(地域総合診療)の計5つの診療科を見学しました。ほとんどの実習は大学病院にあたるUniversity Hospital Coventry にて行い、A&EはWarwick Hospital、GPはWoodside Medical Centreにて行いました。イギリスでの実習内容は日本のポリクリとおおむね似ており、現地の学生と一緒に実習することはとても楽しい経験でした。


 
留学の目標のひとつとして、社会制度的な背景も含め日本と異なる医療・医師のあり方を学びたいと思っていました。イギリスの医療制度については事前に調べてから留学に臨みましたが、実際の現場に身を置くと、戸惑いは想像以上でした。イギリスと日本の比較から感じたことを述べていきたいと思います。


 
はじめにイギリスの医療制度を紹介します。イギリスの国営医療サービスはNational Health Service(NHS)と呼ばれています。イギリス国民だけでなく、一定期間イギリス国内に滞在する正当なビザを有していれば、移民や留学生もこのサービスを利用可能で、医療費はすべて無料です。対象者はかかりつけ医にあたるGP(General Practitioner)に登録をし、緊急の場合を除いてこのGPの予約を取った上で診察を受けます。このGPというのは日本の開業医のイメージとは少し異なり、専門のトレーニングを積んだ複数の医師によって運営されています。レントゲンなどの検査機械を持たず、問診と身体診察、外注の検査データをもとに診察を行います。患者が診察を希望しても予約がとれて診察を受けるのは2~3日後になることもあります。GPがより専門的な治療が必要と判断した場合には、大学病院など高度医療機関を紹介され受診することができます。GPはイギリス医療制度の基盤となっています。


 
日本でも総合診療は昨今注目を集めており、GP実習は留学の中でもとりわけ楽しみでした。実習では診察や往診を見学しました。様々な疾患の患者が外来に訪れます。特定の疾患を持つ患者に対しては、生活指導など教育を行い、その記録をデータとして残すとGP個人の給料が加算される仕組みが導入されており、疾病予防にも国として重点を置いていることが分かりました。また毎週開かれる勉強会への参加が義務付けられており、医学知識のアップデートにも取り組んでいました。しかし大学病院で外来見学をしていると、すべてのGPが十分に機能しているとは思えませんでした。紹介されてやってきた患者のほとんどは軽症であり、本当に専門的治療が必要な人は少数でした。医療の進歩とともにGPに求められる知識が増えるなかで、それに対応しきれていない医師が増えている現状を大学病院の先生は嘆いていました。長くGPシステムを続けてきたイギリスにおいても、医学が専門化するなかでオールラウンドな医師の質を保つことには課題を抱えています。自分自身の将来のキャリアにおいても、初期研修の2年を過ぎれば、その後は専門知識の勉強が続きます。その中で医師としての全般的な対応力をいかに維持していくか大きな問題だと感じました。


 
GPシステムを持つ一方で、コメディカルの専門化が推し進められていました。その例は、専門看護師です。慢性腎疾患、パーキンソン病、喘息などそれぞれの病気に対する専門看護師が存在し、往診や電話相談、独自の外来診察を行い、GPと高度医療機関の中間的役割を果たしていました。どの診療科においても医師・看護師をはじめ、関係するスタッフが集まるMDT(multidisciplinary team)ミーティングが頻繁に行われ、それぞれの職種がその視点から患者を評価し、情報を共有していました。日本では医者の仕事と思われている治療行為を、他のコメディカルが行うこと(たとえば専門看護師のなかにはトレーニングを積み、薬を処方できる人もいます)には当初とても驚きました。医師として果たすべき役割は何か、医師にしかできないことは何かを改めて考えるようになりました。しかし、もしある医療行為を医師、コメディカルともに行うことができる場合でも、よりどちらを望むかは患者次第なのかもしれません。安全性が担保されることは当然の条件になりますが、より患者の気持ちや利便性に即した治療につながるのではないかとも感じました。イギリスでも医師不足は問題になっているそうですが、地域にも看護ステーションやリハビリステーションが設置されており、コメディカルは在宅医療や訪問サービスにおいて重要な役割を担っていると言えます。自宅での生活を願う患者とその家族へのサポートとしても有効です。看護・介護が患者家族にとって大きな負担となってしまっている日本の現状を改善するために、学ぶべき点は多々ありました。


 また、イギリス医療制度において重要なもののひとつに、チャリティー団体の存在があります。これらの団体は寄付によって運営されており、癌患者を支援するMacmillanや、緩和ケア・終末期医療を支えるMyton Hospiceのスタッフには実習でもとてもお世話になりました。イギリス医療においても医療費の増加はとても大きな問題になっています。その中で、質の高いきめ細やかな医療サービスの維持には、このような団体の存在は欠かせません。寄付という行為が、イギリスでは日常生活に深く根ざしていました。街を歩いていても、このようなチャリティー団体が運営するリサイクルショップが数多く存在していました。今回の留学で滞在していた地域は、どちらかと言えば貧しい地域でしたが、人々がそれぞれの生活水準の中で当たり前のように寄付を行っているようでした。


 
今回の留学経験から学んだことは本当に多く、残念ながらこの場にはすべてを書くことができませんが、楽しいことも辛いことも含めて、日本では決して味わうことのできなかったことに数多く出会いました。このような貴重な機会を下さった国際交流室の粕谷先生をはじめ学務のみなさま、現地でお世話になった方々、アドバイスを下さった先輩方、支えてくれた同級生、そして私を送り出してくれた家族にこの場をお借りして感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

Warwick大学留学体験記

西田 一貴 (Warwick大学)

名古屋大学医学部には最終学年の時に三か月ほど海外へ行き、現地の医学生に交じって実習を行い、臨床医学を学ぶという派遣留学プログラムがある。入学時より海外ではどのように医学を学ぶのか、また海外の医学生はどのような生活をしているのか等に興味があり、情報を集めていくにつれて、大変そうだけど応募してみようと思った。小学生のころ、三年ほどカナダのトロントに住んでいたことや将来的にアメリカの医師免許の勉強をする可能性があったので、初めはアメリカの大学を目指した。しかし応募要項のTOEFLの点数が伸び悩み、また他にもアメリカ志望の友人が多く、無理かもしれないとも思った。選考会の結果、イギリスのウォーリック大学に留学することが決まった。恥ずかしながら、当時はイギリスについて映画のハリーポッターくらいの知識しかなく、食事や環境が自分に合うのか不安があった。しかし行くからには名古屋大学の医学生代表として行くことになるので、覚悟や目的を明確にする必要があった。現在、世界的な医学の共通語は英語であり、学生のうちから医学英語力を磨くのは悪くない選択である。加えて、日本の臨床実習に並行して医学英語も少しは勉強していたので、それを活かしてみたいという気持ちもあった。全く知らない国に行くからには貪欲な姿勢で価値観を広げたいとも思った。

 

行くとなってからも大変であった。現地の大学と連絡してもなかなか返信が来ず、国際電話で連絡を試みたり、本当に困ったときは国際連携室の粕谷准教授に助けていただいたりもした。また三か月という短期間の留学では大学側で寮を手配できないと言われてしまい、自力で住む家を探したり、英国のvisa申請の手続きの煩雑さにヤキモキしたりした。振り返ってみると、留学準備の段階ですごく英語の勉強になっていたと思う。

 

いざ現地に着いてまず感じたことは寒すぎたこと。春先のイギリスは普段は過ごしやすいらしいのだが、この年は五十年に一度の寒波が到来。日本では桜が開花し始めていたのに、ロンドンは横殴りの雪であった。高速列車で一時間ほど北上するとコベントリーという小さな町に着く。ようやく家に着いて、スコットランド系イギリス人の管理人兼家主が出迎えてくれた。しかし、ものすごい倹約家で夜10時に暖房や部屋の電気を切ってしまう。住ませて貰っている以上、強く抗議することはできなかった。持ってきた服を全部着て、マフラーをしながら寝ることは今後ないであろう。またイギリスの中でも北部出身者だと方言が激しくてきわめて聞き取りづらいこともわかった。結局三か月経っても聞きなれない方言に出くわしたときは全く分からなかった。

 

日本とは異なる不便さに直面していた一方で、実習は快調に進んだ。ウォーリック大学医学部の受け入れ窓口となってくださったSinger教授はまさに英国紳士な方で、実習に際してわからないことや困ったことを相談すると、忙しいのにもかかわらず、すぐに対応、解決してくださった。

 

私が最初に配属したのは放射線科であった。日本でいう指導医にあたるコンサルタントが23名、研修中のレジストラが10名ほどでX線やCTの読影、IVRや放射線治療、超音波検査などの業務をこなしている。読影の際、ほとんどの先生がマイクを使って音声認識で読影レポートを行っていることにはとても驚いた。日本でもそのうちマイクを使って業務をすることになるのだろうか。IVRに参加させてもらったり、超音波検査をやらしてもらったり、他科との共同で行うMDTミーティングに参加させてもらったりした。放射線科の教授はとても面倒見の良い先生で、教育的な実習ができたと思う。

 

次に診断病理学の講座に行った。担当の指導医は皮膚と呼吸器の専門であった。先生と一緒に顕微鏡をのぞいて、まず私がわかる所見を述べていく。実習初日、皮膚のスライドで色素沈着が多いと言ったら、「たしかにね。たぶん黒人だろうね」と笑顔で返されて、日本との違いを強く実感した。週一回の症例カンファレンスでは上級医が用意した教育的な症例をレジストラが、ああでもないこうでもないと考えて答えを探していく。症例が煩雑すぎて、医学英語も医学知識の両方とも自分はレベルが低すぎる、率直についていけないと自覚させられた。空き時間は形態学の教科書を流し読みし、ざっくりでも単語を一つずつ吸収する。実習最終日にはよく頑張ったね、だいぶ成長したね、と総括していただけたので少し安心した。

 

病理の配属の後は救急をローテーションする予定だったが、すでに現地の実習生で手いっぱいだったらしく、もう一度放射線科で勉強することにした。前回ローテートしたときは各検査を回るような内容が主だったが、読影に興味があるので、読影の練習をしてみたいと志願した。日や週ごとにX線、CT、MRIなどのタスクを与えられ、所見や疑問を夕方レポートして、放射線科の教授にフィードバックをいただくというとても贅沢な実習をさせていただけた。

 

実習の全体的な感想として、イギリスは医学生の実習内容の自由度が大きく、基本的に先生と1対1の場面も多く、日本人でも臆することなく質問できるので、楽しく学べたと思う。現地の学生との交流も多かった。日本の平均寿命は世界一だが、その要因は何があるのだろう、といったことを訊かれ、冗談まじりに討論したり、アジア人は下戸が多い理由についても話し合ったりした。マレーシア人、インド人たちの医学生や他学部の学生とも交流が多く、飲みに行ったりもした。

 


ひとつ印象に残っていることがある。放射線科のコンサルタントのある先生との会話だ。「アメリカに行こうとは思ったことはなかったのですか?言語による障壁もないし、医学においてアメリカは先進国だと思うのですが。」と失礼を承知で私が聞いたら、「たしかにアメリカの医師はイギリスより良い給料をもらっているし、豊富な資金をもとに研究分野では世界を間違いなくリードしている。素直にすごいと思う。けれどアメリカの病院に見学したときに、お金がないと治さないよ、みたいな冷酷な感じを受けた。お金のために治すのではなく、単に治したいから治す医者になりたいと思ったのだよ。」と返答された。世界中の優秀な医師は、おおかたアメリカへ行きキャリアを築くようなイメージが勝手にあったのでとても驚いた。イギリスで医師として働くことの矜持を垣間見たような気がした。


最後に、今回の留学を支えてくださった国際連携室及び学務課の皆様、事前研修で教えてくださった先輩方、支え励ましあった同期の留学仲間たち、現地の先生方はじめとした出逢った全ての人々に大きな感謝の意を表して私の留学体験記の結びとしたい。

ウィーン医科大学、シンガポール国立大学留学体験記

神谷 高志 (Wien大学/Singapore大学)

私はこのたび、名古屋大学交換留学プログラムを利用して、オーストリアのウィーン医科大学に2カ月間、シンガポールのシンガポール国立大学に1カ月間留学させていただきました。それぞれの留学体験について順に書いていきたいと思います。

 

・ウィーン医科大学
ウィーンでの実習期間は2013年4月から5月の2カ月間で、この間に呼吸器外科、家庭医(GP: General Practice)を1カ月ずつローテートしました。
4月2日、ウィーン医科大学での病院実習初日は、非常に寒く、雪が降っていたのを覚えています。まだ慣れない地下鉄を乗り継ぎ、病院に着いたのは集合30分前の7時半でした。ウィーン医科大学の病院実習は、ウィーン総合病院(AKH: Allgemeines Krankenhaus der stadt Wien)という病院で行います。AKHは、医師数約1500人、病床数約2100床と非常に大きな病院です。病院内には英語表記がなく、病院内でも簡単に迷ってしまいます。


呼吸器外科での毎日は、7時半からのカンファレンスから始まり、病棟で採血、回診の見学、その後オペ見学などを行います。カンファレンスは、韓国人の医師がいたため、英語でディスカッションが行われていましたが、その他の診察や医師の間でのコミュニケーションはドイツ語で行われていました。病棟で採血などの仕事が一通り終わると、オペ見学を行います。実際の見学はかなり自由な雰囲気で、先生方からは興味があったらどのオペを見に行ってもいいよと言っていただきました。日本との違いを感じたのは、肺移植の手術が頻繁に行われていたことで、肺線維症や、原発性肺高血圧症など、1カ月間のローテート中にも数例見学することができました。特に印象的だったのは小児の心肺同時移植の一例で、脳死ドナーがハンガリーのブダペストで発生し、それをウィーンで移植するというものでした。心肺同時移植という点でも、国境を越えた臓器の提供という点でも非常に興味深い一例でした。


 呼吸器外科の後は、家庭医(GP: General Practice)をローテートしました。GPでの実習の内容は、非常に多岐にわたるものでした。公衆衛生教室が担当するプログラムのようで、難民支援施設、AIDS患者支援施設、高齢者介護施設などを訪問したほか、夜間訪問救急医療サービスの見学、またウィーン市内、市外の家庭医の診療を見学する機会も何度か作っていただきました。家庭医見学では、実際に患者さんとコミュニケーションする機会は少なかったものの、オーストリアと日本の医療について医師と話すことができ、非常に充実した時間を過ごすことができました。病院での医療だけではなく、社会全般から医療をとらえるということを深く考えさせられる実習となりました。


 週末には、ウィーン市内の観光に出かけたり周辺国へ足をのばしたりと、ヨーロッパの文化を満喫することができました。


・シンガポール国立大学
 6月の初めに1週間ほど日本に帰国したのち、シンガポールへと向かいました。まずシンガポールの印象としては、清潔で整った国というものでした。道端にはゴミはほとんどなく、日本と比べても優劣をつけがたいほど、きれいな環境だと感じました。


シンガポールでの実習は6/10~7/5の1カ月間、シンガポール総合病院(SGH: Singapore General Hospital)、脳神経外科にて行いました。シンガポール国立大学の学生は国立大学病院(NUH: National University Hospital)や、SGHその他約10の病院にて実習を行うそうです。なかでもSGHは1821年に設立され、病床数約1700床の、シンガポールで最も歴史のある最も大きな病院です。


初日は、まずシンガポール国立大学のDean’s officeでオリエンテーションが行われました。そこには、その週に実習を始める留学生たちが、10名ほど集まっていました。国はUK、インドネシア、マレーシア、中国、台湾などで、その他にもドイツ、スイス、フランス、オーストラリア、韓国、アメリカなどからの留学生が多いとの話を耳にしました。そこでは実習病院の概要、規則、規範などについて説明を受け、午後からSGHでの詳細なオリエンテーションがありました。


SGH脳神経外科での毎日は、朝8時からミーティング、回診の見学、オペ見学という流れでした。学生一人一人に、Supervisor 1人と、Medical Officerの担当が決まっており、それらの先生方の指示に従って動くという実習でした。実際の実習内容は、担当の先生に大きく左右されるようで、私の場合は、問診、身体診察、簡単な手技など比較的多くの機会を作っていただけたので、充実した実習生活を送ることができました。オペに関しては、学生が参加するのは難しいようで、基本的にobservationでした。

シンガポールでの公用語は英語、標準中国語、マレー語、タミル語です。民族別には華人約75%、マレー系約15%、インド系約8%とのことで、実際の印象としても華人の割合が多く、街で聞こえてくる言語は多くが中国語でした。医師同士の会話は英語ですが、英語の話せない患者さんとの会話では、医師は中国語やマレー語など、患者さんに合わせて使い分けていました(患者さんのベッド脇に、Language: English, Mandarin, Malayなどと書いてありました)。一方で、英語が話せない患者さんにとっては、自分の母国語が話せる医師がいないとなかなか診てもらえないという状況もあり、シンガポールの抱える問題の一部を目の当たりにすることができました。

 

以上のように、ウィーン及びシンガポールでの3カ月間の留学生活を通して、日本ではできない経験を数多くすることができました。最後にこの留学をするにあたってお世話になりました粕谷先生はじめ、国際交流室の先生方、学務の皆様、ウィーン、シンガポールの先生方に心より感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

ウィーン医科大学

西尾 洋介 (Wien大学)

 私の夢は医療後進国において医療活動を行うことです。医師を志した当初、私は漠然と子どもが好き、そんな子どもを苦痛から取り除き再び笑顔を取り戻す仕事に就きたいと考え医学部進学を決めました。しかし、大学3年次のカンボジア内孤児院におけるボランティアを通し、私の夢は必要十分な食事・医療・教育等にありつけていない途上国における子どもたちを救うこと、とより具体化することとなりました。今回、留学制度ではウィーン医科大学で勉強をさせて頂いたことは、一見途上国医療とはかけ離れているように見えますが、将来、途上国において海外の医療者と共に働くための第一ステップとなるのでは、と考え応募させて頂きました。 

 

 私は、今回のウィーン医科大学での実習において、循環器内科、救急科、家庭医療をローテートさせて頂きました。 

 

  ウィーン到着翌日から始まった循環器内科の実習では、ウィーン医科大学と名古屋大学との間の医学教育の相違点に驚かされました。1学年の医学生の数は700人程度であり、当然病院における実習では指導教官の目は十分に行き届きません。その結果として、医学生の役割は主に、採血・ルート確保・点滴をつなぐ、などの1人でできる“作業”が中心となっていました。日本の実習においては、実習中は必ず指導教官が伴い、講義が提供され質問もいつでもできる形ですので、当初は戸惑いました。例えば、作業以外の初診患者の問診等を取りたければ自身で新規患者を見つけ出し、自身で問診の取り方等を“完璧に”予習していかなければいけませんでした(なぜなら指導医による指導はほとんど無いので)しかし、このように自分から学ぶチャンスを見つけ、チャンスを活かさなければならない点を学べたことは非常に大きな収穫となりました。  また、ERでの実習においては、医師のオーダーした採血・心電図、ルート確保等の手技、またその結果の解釈・ディスカッション等をさせて頂くとともに、稀にくる非ドイツ語圏の患者さんの医療面接を行わせて頂きました。英語で診療に参加し、英語で患者さんを診るとはどんなことなのかという事を体感する事ができ大変貴重な経験となりました。  最後にまわらせて頂いた家庭医療実習。ここでは公衆衛生関連の施設訪問、家庭医のオフィスに泊まり込みで訪問実習等をさせて頂きました。公衆衛生施設訪問では、AIDSの方々の支援施設、ホームレス支援施設、薬物中毒者のための施設等に行かせて頂きました。その中でも印象に残ったのは薬物中毒者に対する施設で、ここではクラブやパーティーなどに出向いてその参加者がもつ薬物を分析にかけ、使用者にその危険性等を伝える活動をしていました。違法薬物をもっていても告発するわけでもなく、ただその危険性を医療的立場で説明するという方法でした。一辺倒に禁止するのではなく、危険性を伝える事で内面から構成していくという形に強く共感致しました。また、家庭医宅への泊まり込みでの実習においては、ウィーンにおける家庭医療の実体を学ぶ事は言うまでもなく、訪問診療を通してウィーンの高齢者医療事情を知る事ができました。ウィーンでは日本と同じように高齢化が進んでおり、高齢者医療は大きなトピックとなっているそうです。最も印象に残った点は、海外から泊まり込みの看護師を雇っている家庭が少なからずあった点です。ルーマニアやハンガリーなどの貧しい隣国から人を雇って、家に住まわせながら24時間の看護を実現していました。

 

  交換留学プログラムとは直接関係はございませんが、ウィーン医科大学での12週間の実習の後、私はカンボジア、アンコール小児病院で4週間の臨床実習を行いました。ここの病院は欧米の医師により監督されているため、回診・カルテ等全て英語で行われるという仕組みでした。私は、入院病棟において常時3~4人程度の患児を担当させて頂き、毎朝の回診、カルテ記載、オーダーまで全て一人でやらせて頂き指導医とディスカッションの後オーダーを確定させるという毎日を送らせて頂きました。隔日でオーストラリアの医師の総回診があり、自分の患者のプレゼンをさせて頂き、ウィーンでは経験できなかった範囲の実習ができ非常に充実した日々となりました。カンボジアでの4週間において最も印象に残ったのは4歳のALLの患児です。私は名古屋大学病院小児科で実習をさせて頂きましたので、小児血液腫瘍に対して化学療法が行われる事を当然のことととらえておりました。しかし、カンボジアにおいては、欧米の監督下なため比較的高度医療が提供されているアンコール小児病院でさえ、化学療法の提供は行われていませんでした。ましてや、患児は治療法が存在するかもわからぬまま、歩くのも不自由なほど大きくなったお腹を抱え、ベッドの上に座っているのでした。この光景に大変な衝撃を受け、医療後進国において医療活動を行いたいという思いを、医療後進国に小児血液腫瘍専門医として化学療法を届けたいという具体的な思いに更新するに至りました。


 最後になりましたが、留学という貴重な機会を与えて頂いた粕谷先生を始め国際交流室の先生方、学務の方々、ホームステイ先の紹介等多大な協力をして頂いた吉田先生に大変感謝致します。この経験を将来のキャリアに必ず活かしていきたいと思います。

グダニスクでの日々を振り返って

木下 貴文 (Gdański大学)

皆様こんにちは。2013年春から夏にかけて約三ヶ月間、ポーランドのグダニスク医科大学に留学してきました。今回はその経験を紹介させていただきます。


まずはポーランドとグダニスクについてご紹介しましょう。ポーランドは、国土のほとんどが平原の農業国で、民族的にはスラブ系で母国語のポーランド語はロシア語に近いですが、宗教的にはカトリックです。ポーランド王国は中世から17世紀まで広大な版図を誇りましたが、18世紀以降は周囲の大国の間で翻弄され何度も地図上から消え、また第二次大戦後は共産主義圏となるなど苦難の時期が長く続きました。民主化後の現在は、EUに加盟して経済発展が著しい反面、旧い制度と新しい仕組みの矛盾や経済格差など難しい問題も多く抱えています。


グダニスクは、北部のバルト海に面し古くから開けた港湾都市で、かつてはハンザ同盟に加盟する自治都市として栄え、20世紀には戦略拠点としての重要性から、第二次大戦の勃発地ともなりました。その際の激しい戦闘で、中世から続く美しい旧市街の多くは破壊されてしまいましたが、戦後にかなり厳密な復元の取り組みがなされ、現在では、そうと知らなければ復元とは分からないような、古い趣のある姿を取り戻しています。


さてその素敵なグダニスク旧市街から徒歩圏にあるグダニスク医科大学には、ポーランド語でポーランド人を教育する通常のコースの他に、海外から学生を受け入れて英語で教育する6年制のコースがあります。今回私は、主にこのコースの一部に参加するという形になりました。このコースでは、5~6年の2年間かけて日本でいうポリクリを行います。内容も日本と似ていて、グループでの講義、病棟や検査室などを回りつつの少人数レクチャー、手技や診察の実習などがあります。コースの講義は主にEUのガイドラインに沿った系統的なもので、一部は日本で習ったことの復習(と英語の勉強?)でしたが、文化や制度、疾患に対する考え方などの違いも多く、新鮮な感覚で学ぶことができました。このコースの学生は地理的に近い北欧出身者が最も多く、他に英語圏やヨーロッパ各国出身の学生が在籍しています。特に卒業を控えた6年生の中には優秀な人も多く、講義や実習中の発言などに感心するとともに刺激を受けました。


大学病院での医療はEUのガイドラインがかなり普及しており、例えば心筋梗塞疑いで搬送されてきた患者さんの処置の流れは、日本や他の先進国とあまり変わらないと感じました。一方で疾患によっては他のEU諸国で第一選択となっている薬が未承認で使えないことや、大学病院への入院に長い待機リストがあるなど、この国に特有の事情も多く見聞きしました。


各科は1週間または2週間ですが、私は家庭医学、腫瘍内科、リウマチ科など日本ではあまりメジャーでない科を積極的に選んで回りました。リウマチ科は膠原病内科と同様なものと想像していたのですが、こちらでは痛風などの代謝性疾患や変形性関節症などの整形外科疾患を含む、かなり広範な疾患群を扱います。実習では、各種膠原病について整形外科的な身体診察を重視して詳しく行っていること、痛風や変形性関節症に関する内科的な予防の取り組みなどが印象的でした。また腫瘍内科は、数年前に制度化されたばかりの若い科です。病棟には肺癌からリンパ腫、脳腫瘍、婦人科癌まで幅広い種類の癌の患者さんがいました。この大学では診断より治療が主体で、業務は化学療法と放射線療法、また全身状態が悪化した患者の一時的管理などが中心でした。


多くの科の実習の最終日には試験があり、正規の学生とともに受験しました。主に実習中に学んだことから出題されるのですが、日本語では知っていることでも言語のハードルがあり、毎回の実習中盤以降は試験対策に追われました。もし不合格だった場合に留学中の成績認定がどうなるのかが不明で冷や冷やしながら受けましたが、幸い全て合格できて胸を撫で下ろしました。


残念ながらコース中は、実際の患者さんを相手に手技や診察などをする機会はあまり多くありません。患者さんが現地語しか話せないのが大きな理由です。しかし留学期間のうち後半の1ヶ月は、現地の夏期休暇が始まったために、コースへの参加ではなく希望科の教員に個人的に付く形になり、その際には実際の病棟業務や回診などに随行できた他、時には(通訳付きで!)医療面接や身体診察をさせていただく機会もありました。


前半のコースへの参加では、カリキュラムがきちんと組まれていて同級生も多く、海外での学生生活や医学教育の雰囲気を体験することができました。また後半の個人実習では、病棟の様子や医師の働き方などがわかり、結果として臨床と教育、両方の面を知ることができたのは非常によかったと思います。


 以降は、現地での生活や文化について少しだけ書かせてください。私が滞在したのは大学と病院から徒歩10分くらいの学生寮でした。山の斜面を切り開いた立地で、寮の裏側には森が広がり、滞在中は夕方に森を散歩するのがとても快適で楽しみでした。部屋はシンプルなつくりで各種設備は共用。毎日の食事は、昼食は病院の食堂で食べ、それ以外は、料理道具を揃えて現地のスーパーで買い物し、自炊をしていました。
 留学前にはほとんど何も知らなかったポーランド料理ですが、宮廷料理のような洗練さはないものの、用いる食材や調理法が多様で(特に肉料理とスープは種類が豊富)、日本人の私の口に合うものも多くこの点はいい意味で期待を裏切られました(肉料理の量が多すぎて閉口したことは何度かありましたが)。


ポーランドの人々に対しては、どこか素朴で懐かしいような印象を持ちました。親切な人が多く、何か尋ねた時や、縁があって知り合った人たちは、とても親身になってくれました。


 お読みいただきありがとうございます。この体験記で皆様が少しでもポーランドに興味を持っていただけたなら嬉しいです。3ヶ月間を振り返って、いろいろな人の手助けのおかげで、有意義な実習ができたと思います。お世話になった皆様に感謝します。本当にありがとうございました!

グダニスク医科大学留学記

鈴木 章弘 (Gdański大学)

私はこの度、ポーランドのグダニスクにあるグダニスク医科大学(Medical University of Gdansk、以下MUG)へ留学して参りましたので、報告させていただきます。グダニスクはバルト海に面するポーランド最大の港町で、中世の香り漂う美しい街であると同時に、第二次世界大戦勃発の地、東欧諸国の民主化の中心として歴史的にも重要な都市であります。サッカーの松井大輔選手が地元プロチームのレヒア・グダニスクで活躍していると言えば、少しは親しみやすいでしょうか。このように名古屋とはかけ離れた街で、4~6月の3ヶ月実習させていただきました。


実習させていただいた大学病院(Academic Clinical Center)は350万人の医療圏をまかなう中核病院で、病床数約1300、年間手術件数約21000件という大きな病院です。診療科毎に病棟が異なるというのが特徴で、例えば外科や救急の入っている病棟は建って数年の新しいものですが、産婦人科の病棟は戦前からの建物で場所も離れていたりします。MUGでは、ポーランド国外からの学生を英語で6年間教育するEnglish Divisionの設置や、ヨーロッパ内での交換留学であるERASMUSプログラムなど国際交流に力を入れており、共同研究の縁から始まった名古屋大学との交換留学も、毎年の様に行われています。


今回、MUGでの実習ではなるべく多くの診療科を見たいと思い、産婦人科、家庭医学、救急科、循環器内科、一般外科、心臓外科でそれぞれ2週間ずつ実習しました。家庭医学、救急科ではEnglish Divisionの6年生のクラスに混じり、主に講義形式で勉強しました。その他の診療科では先生に事前にメール等で相談し、その都度実習の内容を決めました。


家庭医学ではPBL形式などで、生活習慣病などcommonな疾患について学びました。セリアック病やライム病など、日本ではあまりなじみのなかった疾患が頻度の高いものとして鑑別の上位にあがるというのが印象的でした。また一日だけではありましたが、家庭医のクリニックも見学させていただき、家庭医の開業医としての仕事を垣間みる事ができました。


救急ではACLSを中心に学び、ドクターヘリを見学に行ったり、クラスで被災者と救助チームに分かれてトリアージの練習をしたりとユニークな授業もありました。現地の学生はとてもアグレッシブで、ACLSでは誰が医者役をやってもリーダーシップを取れていたり、講義を中断して先生と議論したりと名古屋大学での実習との差を感じました。


循環器内科では、病院の医師の方に個別に指導してもらい、回診や見学、症例の検討などをしました。英語の話せる患者さんがいた時には少しだけですが問診・身体診察をさせてもらう事ができました。


産婦人科、一般外科、心臓外科では主に手術見学や手術助手をさせていただきました。どこの診療科でもそうだったのですが、医師、看護師など職種間の壁や、医師の中での上下関係があまりない、というのが印象的で、看護師でも医師にどんどん意見をしたり(ポーランド語だったのでほとんど理解できませんでしたが)、学生の自分でも戦力として手術に入れてもらったりしていました。手術内容は産婦人科では子宮体癌や子宮頸癌、心臓外科ではCABG(+たまに左室形成術)が多く、CABGはオフポンプで行っていたのが印象的でした。一般外科では各種の癌の他に、日本では保険適応のないBMIが40以上の肥満(morbidly obese weight)の方に対する胃の縮小手術を毎日のように行っていて、欧米で実習しているのだ、と実感しました。手術は第2助手で参加する事が多かったのですが、先生方とある程度仲良くなってからは人手が足りない時に第1助手をさせてもらう事もあり、手技も挿管、尿道カテーテルの挿入から皮膚縫合、開腹、開胸まであらゆる事を経験できました。手術は日本程の丁寧さはありませんがとても速く、雑談をしながらリラックスして作業しているのが印象的でした。「君がここで学習する事は、”No music, no surgery”、それだけだ。」と教えてくれた先生もいて、とても楽しく実習する事ができました。


生活面では学生寮が無料で提供され、スーパー・デパートが近くにあり、さらに物価もヨーロッパ随一の安さなので困る事はありませんでした。また、受け入れ担当のWozniak教授をはじめとした大学の方々や、Piotrを筆頭とした名古屋大学に留学した経験のある方々が非常に良くしてくださった事もあり、大変快適な留学生活を満喫する事ができました。


グダニスクへ留学した方々はつながりがとても強く、出国前には壮行会を開いていただきMUG留学経験のある先輩方から様々な経験談やアドバイスをもらいました。またWozniak教授の研究室に日用品を詰め込んだトランクを置いておいて、名大から来た学生が自由に使えるようにしてあるというのも大きな助けとなりました。


今回の留学で、私は日本ではできない多くの事を経験し、大学生活で最も濃密な時間を過ごす事ができました。共にポーランドでの留学生活を過ごした木下さん、留学の機会を与えてくださりその前後にわたって留学をサポートしてくださった国際交流室の皆様を始め、私の留学に関わる全ての方々に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

過去の交換留学経験者からのメッセージ

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